Story 感じて、ゆるんで、歩く

週末は小雨降る空模様の中で、2日間の合宿を大山で行ってきた。

身体性を伴った学習を大事にしているので、合宿では森に入ったり、山を登ったり、身体で、心で、”感じる”体験を重視している。

頭で理解する機会や訓練は多いが、頭からではなく、自分の身体感覚、心から感じて、その感じたことを起点に展開していく時間は、毎回LIVEで、フレッシュで、ドラマに溢れている。

今回の合宿で、参加者の方々と分かち合い、話をしたキーワードの中に、「りきむ」と「ゆるむ」というものがあった。

小雨に濡れた山道や、暗い夜道を歩む時に怖いと思えば思うほど、力が入って、体が硬くなる。

下り道であれば、あそこの石を、こうやって踏んで降りようと、想定する。自分の中で降りる形が決まっているから、足の運びに柔らかさはなく、固定的になる。

自分の想定通りにことが運べば一安心だが、自分の想定が外れると、地面の形状に対応ができず、つまづいたり、転んだりしやすくなる。

見えないと思えば思うほど、一生懸命に目を凝らして見ようとする。そうすると、身体は硬くなるだけでなく、身体の運びも遅くなる。

ただの山登り、山下りの話といえばそれまでの話だが、仕事とか人生にも通づる部分があると感じることが多い。

怖いと思えば思うほど、力が入るものだし、一生懸命になればなるほど、見える範囲は狭くなり、想定すればするほど、想定外に柔軟に対応しづらくなったり。

怖い気持ちを消す必要も、感じなくする必要もないのだが、怖い気持ちと共にいながらも、ちょっと深呼吸して、足を、身体の感覚を信じて、心を広げるように開いて歩んでいく。

力が抜けた状態で歩けると、力んでいる時よりも身体の運びは軽やかになるし、柔軟に道に対応しながら進みやすくなる。

力んでる時は、頭が優位なのだが、緩んでる時は、身体の知性というか、本能がより活躍してくれて導いてくれるような感覚になる。当然、そっちの方がスイスイと進んでいけるから、速度も早い。

そんなことを、”感じて”、”分かち合って”、”分かり合える”時間は、ともすると頭の世界ばかりで生きてしまいがちな自分達には貴重だと思う。

「可能性は無限大」だったり、「誰もが才能に溢れている」という考え方があるが、それを体現していく上では、頭の知性だけでなく、身体の知性や心のセンサーを開いて生きていくことが大事だと感じている。

何に力んで生きているのか?

その奥にある恐れや怖さがあるとしたら、それはどんな恐れや怖さなのか?

知らず知らず、力んでしまいがちな現代社会の中で自分の力みに気づけて、ゆるめる方法を捉えられたら、緊張と弛緩の中で整って、たくましく、しなやかにもっと生きていける。


2023年1月18日 のぞみに揺られながら

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