Story 僕とはぐくむの、ともに生きる物語

チェックイン:物語の始まり

チェックイン
場にいる一人ひとりが今、自分が感じていることや想っていることなど、分かち合うことで、互いの状況を把握し、安心感の醸成、参画意識の向上を図るもの

今でこそ、チェックインは界隈だけでなく、ミーティングの中で設けている企業も増えているが、はぐくむでは創業した2006年から毎日チェックインを重ねてきている。チェックインの時間が、毎日顔合わせているメンバーから見えている出来事や、微細な心の動きを理解させてくれる。そうやって1人1人の物語が紡がれるところからはぐくむの毎日は始まってきた。

この16年間、毎日。

僕とはぐくむの、ともに生きる物語を語る上でのチェックインをしていこうと思う。僕は、はぐくむが創業した2006年当時、大学2年生で、その頃からインターンとして関わっていて、2011年に一人目の社員として入社しているメンバーだ。

今やっている仕事(2022年時点)では、SELF DESIGN事業の中で、LIFE DESIGN SCHOOLやはぐくむコーチングスクールのファシリテーターや、PR・セールスを担っているが、社員になって11年間様々な仕事をしてきているので、来年にはまた違う仕事をしている可能性は大いにある。

キャラクターとしては、はぐくむメンバーからは、基本ハッピーでお気楽なタイプだとよく言われるし、自分でもそう自覚している笑
年を重ねるごとに、自分の明るい部分や楽観的な部分が増しているように感じる。ここ数年は、そんなお笑い要素を入れていくのも、僕の役割だと思いながら自分らしく働かさせてもらっている。(だからCOO[Chief Owarai Officer]と自称させてもらった)

僕にとってはぐくむとの物語を語るということは、自分の人生を語ることとほぼ同義だ。それくらい僕にとってはぐくむは、自分の人生の大部分を占めているし、自分をひかりある場所にいざなってもらった、なくてはならない存在だ。

これからそんな僕とはぐくむの物語を、今まで関わってきてくれた人、そしてこれから出会うであろう人、何より今もまさにともに生きている仲間に感謝の気持ちを込めながら、話していこうと思う。

僕の人生を変えた、はぐくむとの出会い

たけさんとの出会い

僕が初めてたけさんと出会ったのは、2006年の春頃だと記憶している。

当時、大学のサークル仲間だったみや(後のはぐくむインターン初期メンバーの同期)に、とある学生団体のセミナーに誘われ、そこでゲスト講師として登壇していたのがたけさんだった。

当時から成長意欲が高く、何事にも積極的だったみやから、たけさん登壇後、話かけにいこうと言われ、彼が積極的に話しかけているのを、後ろからそっと見ていたのがたけさんとの出会いだ。(たけさんからは、その当時のことを、みやの後ろで隠れている何か抱えてそうな暗い子、だったと話していて、今もよく笑い話になっている笑)

当時は自分のことを暗いと自覚していなかったけど、振り返ってみると、今の自分からは想像できないくらい、纏ってる雰囲気や根底にある考え方は違っていたと思う。毎日それなりに楽しかったし、何事も楽しむスタンスは当時からあったものの、自分の未来には希望を見出せていなかったし、自分のことを理解してもらえない苦しさにもがいていた。

自分のことを明らかにできない苦しさとともに生きてきた20歳そこそこの自分は、出会った人を、信用できるかできないか、疑いの目で人を見ていたところがあった。

たけさんと出会った時も、そういう感覚で見ていたのをよく覚えている。存在が大きくて、寛容で、当時の自分にとってはきれいなことを伝えてくれるけど、

果たしてこの人は、信じていい人なのか?

そんな目で見ていた。

そういう自分をよそに、情報感度が高く、当時からコーチングに興味を持っていたみやは、たけさんをサークルの勉強会の講師に呼びたいと相談していた。(サークルは、大学の友だちが立ち上げたキャリアデザインサークルで、みやはその幹部だった)

みやの積極性により、サークル内で、たけさんを講師に招いて、コーチング連続講座が開催された。(現在のはぐくむコーチングスクールの原型だ)
その連続講座では、最後にたけさんからの無料セッションが特典でついていて、当時からチャンスには何でも飛び込んでいく僕は、もちろんセッションをしてもらった。

そこで、たけさんとほぼ初めて1対1で話し、その中で、たけさんからはぐくむという会社を立ち上げたから、一緒に何かできたらいいね、というところからインターン活動が始まることになった。

まだたけさんに対して、”この人は信じていいのか?”という視点はあったけど、勉強会を通じて、この人と一緒にいたら成長できるし、リスペクトしていたみやもやるということで、意気揚々とはぐくむでインターンすることを決めた。

はぐくむインターンの始まり

そこから僕のはぐくむでのインターン生活が始まった。

たけさんとみやと3人で初めて開催したイベント39(サンキュー)
自分がリーダーとして大学卒業まで開催していたカンバセーションカフェ
今もなおはぐくむが大切にしているエッセンスが詰まっているLIFE DESIGN SCHOOL、
4年生の夏、様々な企業に営業し、学生ながらも法人からお金をいただき開催した就カフェ、

本当に様々な経験をさせてもらった。

2007年に初めて開催した39(サンキュー)|たけさんが若い笑

大学2年生の冬から卒業まで続けたインターン生活の2年ちょっとの間で、はぐくむが今もずっと大切にしている対話を、毎週重ねていった。その中で、僕は自分と向き合うことの大切さ、他者と関わっていく豊さを、味わっていった。

自分の物語を生きる決意をしたカミングアウト

自分と向き合った1年間

インターン活動を開始して、半年後LIFE DEIGN SCHOOLを初めて開講した。当時の僕たちはインターンをやりながら、LIFE DESIGN SCHOOL1期生として参加していた。

LIFE DESIGN SCHOOL1期で描いた夢の絵|お気楽族…笑

今は約半年間のプログラムだが、当初は3ヶ月×2回(前期・後期で分かれていた)のプログラムで、プログラムが終わる頃は、インターン活動を始めてから約1年経つタイミングだった。当時のミーティングは、プロジェクトを前に進めるために合意を取り、決めていくというより、それぞれの今の気持ちや感じていることを分かち合っていく対話の時間が圧倒的に多く、その中で自分と向き合い、時に仲間とぶつかりながら、”自分とは何者なのか?””どう生きていきたいのか?”を問われていた1年だった。

たけさんへのカミングアウト

最初は”この人を信じていいのか?”と疑心暗鬼で人を見ていた自分も、1年経った頃には、たけさんのことは信じられる、信じたいという気持ちになっていた。そんなある日、いよいよ僕はたけさんを呼び出して、自分がゲイだということをカミングアウトした。

当時数人の友だちには伝えていたが、社会人の大人に初めてカミングアウトする機会でもあった。時々ミーティングで使っていた、渋谷のLOFTにある2階のカフェ(当時は点心料理が食べられるところだった)で、緊張しながらカミングアウトしたことを覚えている。1年間の中で信頼を寄せていたたけさんであっても、カミングアウトすることはハードルが高く、きっと受け止めてくれるとは思いつつ、”どんな反応をされるだろう?”と不安だった。

しかし、そんな不安を抱えていた僕が肩透かしを食らうほど、たけさんはいつも通り、穏やかな表情で、”うん”とだけ頷くだけだった。カミングアウトした友だちはみんな、その後いろんなことを聴いてくれたけど、たけさんはただただ僕の言葉に耳を傾けてくれた。

今思うとあの時たけさんがただ頷いてくれたから、”この人は僕がゲイとかそうでないとかではなく、ただ存在そのものを受け止めて、見てくれているんだな”と、より一層たけさんを信じる気持ちが深まったんだと思う。

その一件をきっかけに、数週間後LIFE DESIGN SCHOOL最後のクラスでみんなに伝え、その数ヶ月後には家族にもカミングアウトすることになる。(詳しくは、“僕がゲイだとカミングアウトする理由”を読んでいただければ幸いです)

カミングアウトによって起きた変化

たけさん、はぐくむメンバー、そして家族にカミングアウトをすることで、僕は初めて自分の人生を生きられるようになった。それまでは、周りの目を気にし、周りの人や親が期待しているであろう自分の姿を勝手に想像し、それを自ら押し付け生きてきてた。

でもカミングアウトを通じて、自らを縛り付けていた鎖がなくなり、自分の物語を、自分で生きられるようになった。モノクロだった景色が、カラフルな世界に変わるくらい、僕にとって大きな出来事だった。この件をきっかけに、20年間抑えていたものや自分の中に留めていた気持ちががどんどん溢れていき、少しずつ願いを言葉にしていくようになった。

はぐくむインターンを始めた当初、僕はインターンメンバーの中では、仕事ができないキャラで、あるメンバーからよくフィードバックされて、ほとんどのミーティングでは泣いていた笑
でも、カミングアウトをきっかけに、自分の思っていることや感じていることを、外に表現することに躊躇わなくなり、仲間の自分を見る目も確実に変わっていった。

LGBT向けプロジェクトで世界的に有名なフォトグラファーに撮ってもらった写真|モデル気取りです笑

4年生の1年間ははぐくむインターンにより一層力を注いでいき、それに伴い自分の輝きがどんどん増していった。最終的には、ミーティングで泣きっぱなしだった僕が、インターンのリーダー的ポジションとして、精力的に取り組み、プロジェクトを前に進めていくようになった。

大学卒業とソフトバンク入社、そしてまたはぐくむへ

大学卒業間近にたけさんと2人で話したこと

はぐくむでインターンをやりつつ、僕は大学3年生の時から就活し、ソフトバンクに内定をもらっていた。しかし前述した通り、カミングアウトしてからの僕は別人のように、イキイキしてインターン活動をやっていた。たけさんと出会った頃には、知名度もなく、1人でやっているはぐくむで働くという選択肢など、頭にもなかったが、4年生の卒業間近には少しずつ、大学を卒業してそのままはぐくむで働く、という選択肢が自分の中に芽生えていた。

でも、結局その選択はせず、ソフトバンクへの入社を決めた。ある時、たけさんと当時表参道にあったシェアオフィスのテラスで、2人きりで話したことがあって、その時に話して決めた記憶がある。自分は卒業して、1人の会社に飛び込む勇気も、周りの反対を押しきる自信もなかったし、たけさんもきっとあの時は、仕事のしの字も知らない新卒を入れられるほどの余裕は、会社としての体力的にも、心情的にもなかったんじゃないかな、と勝手に思っている。

きっとタイミングじゃなかったんだと思う。

2人でテラスで話して、大学卒業後すぐにははぐくむに入らないことを決めたと同時に、いつか戻ってきて働きたいと誓ったのもこの時だった。

たけさんの号泣

大学卒業を迎え、はぐくむインターンとしても卒業するタイミングがやってきた。はぐくむ創業してから約2年間、ずっと一緒にやっていた僕たちのインターン卒業式で印象的なのは、後にも先にもないほどの、たけさんの号泣だ。

はぐくむ創業して初めてのインターンがみやと僕で、それ以外にも同じ大学の友だちが4人、合計6人が一緒にやっていた。衝突したこともいっぱいあった(当時激烈なコミュニケーションと呼んでいた)し、色んなことを分かち合ってきた6人のインターンが同時に卒業するセレモニーで、たけさんも色んな想いが込み上げてきたんだと思う。

出会ってから今までの16年間で、一番泣いてたのがあの時だ。それくらい当時の2年間は色んなことがあり、その都度分かち合ってきた、支え合って進めてきた2年間だった。

当時一緒にインターンをやっていた仲間との写真

ソフトバンク入社へ

そんな卒業を経て、僕はなんとなく世間がよく言う”3年は働け”に倣い、3年という時間制限の中でソフトバンクでの社会人生活が始まった。たけさんとはその間も定期的に会ってたし、新卒社会人に起こるよくある悩みも相談に乗ってもらってたりしていた。

ソフトバンクでは、法人営業を担当し、3年間という時間制限を設けていた僕は、限られた時間の中で、最大限学ぼうと前のめりに仕事をしていた。その結果、東京エリアで営業1位を獲得したり、孫さんの後継者を育成する教育機関”ソフトバンクアカデミア”にも選出され、楽しく学ばせてもらった。

流れに抗うのではなく、乗ってみる生き方

そんな社会人生活2年目になる時、半年に1回くらいのペースで行っていたはぐくむの合宿で、はぐくむの未来を描いてた時に、たけさんが紙に書いたこれからのスケジュールの半年後(2011年9月)に指を指し、

“ぐっちがはぐくむに戻ってくるのはこのタイミングだ”

と、おもむろに発言し、予想外に僕の入社タイミングが決まった。

ちなみにたけさんは僕の人生にそういうサプライズをいっぱい起こしてくれる存在でもある。たけさんの中では色々思考した結果の判断なんだけど、僕からしてみたら前触れもなくおとずれる無茶振りで、最初は驚いたり戸惑ったこともあったけど、自分にとってサプライズでもそういう流れがきたら乗った方が、なんとなく人生うまくいく、というのもこの16年間で学ばせてもらったことだと思う。

何か起きるなら、それに抗うのではなく、乗ってみる。

そんな軽やかな生き方が、人生に良い縁起をもたらしてくれる。

出口の見えないトンネル時代に学んだ数多くのこと

僕が味わった艱難辛苦

そんなサプライズ通告通り、2011年10月に僕ははぐくむへ入社する。そしてそこから約5年ほど”トンネル時代”に突入する。

2011年 はぐくむ入社式

はぐくむのCompassの一つに”艱難辛苦、汝を玉にす”という言葉があるが、僕の人生にとって最大の艱難辛苦は、間違えなくこの期間だった。入社した当時はVisionary Company Clubという経営者向けのコミュニティ事業を立ち上げるために、とにかく経営者の方に直筆の手紙を書いていた。毎日手紙を何通も書き、アポが取れれば訪問していた。かすみさん(たけさんの奥さん)からはよく”手紙職人”と言われるほど、来る日も来る日も手紙を書いていた。

しかし会社としての知名度も低く、経験の浅い僕が経営者の方に営業するのは、うまくいかないことの連続だった。努力と成果がなかなか直結しない毎日の中で、それでもそれが言い訳できない自分の実力だと突きつけられる現実に、もがきながらなんとか過ごしていた。

中でも苦しかったのは、お金だ。

その当時は会社としての売上も今に比べると雀の涙ほどだったので、当然自分のお給料も生活がままならないほどのものだった。お金がない苦しみは、人の心のスペースを奪う。その苦しみは、会社の目指している世界や方向性に共感し、その一助を担いたいと覚悟を決めてジョインした自分の心を、あっけなく揺るがせた。

苦しさ、悔しさ、不安、後悔、でもやっていきたいという願い、毎日色んな感情を味わいながら、日々を乗りきっていたと思う。盛るわけではなく、ほぼ毎週泣きながらやっていた。それくらい悔しい日々の連続だった。

苦しみの中にいるのではなく、外から眺めていくこと

僕の特徴の一つに、”すぐ泣きつく”というのがある。何か困ったことがあったら、すぐ周りに頼る。頼ることにハードルを感じている人も多い中で、自分のこの特性はもはや強みだなと思っていたりもする笑

そんな僕なので、トンネル時代はことあるごとにたけさんに泣きついてた。自分の悔しさ、苦しさを都度言葉にさせてもらっていた。お金による苦しみも、よく泣きながら話した。いつも僕はたけさんに”こんなに苦しいんだ”と訴えたくて話すのだが、たけさんと話していると、最終的に自分の至らなさによるものだと感じて終わるのが、お決まりのパターンだった。

ある日、また僕がお金による苦しみを話したときに、

“苦しみがあったときに、その苦しみの中にいるから余計に苦しみから離れられなくなってしまう。今、自分は苦しんでいるんだ、と外から見る自分を育てていくと、少しその感情からも離れることができる。”

というような話をされた。(Compassトークでもたけさんと話しているので、ぜひご覧ください)

その時は内心、”いやいやもうそんなことわからないくらいこっちは苦しいのよー!!”という気持ちだったけど、たけさんから言われたその言葉はずっと僕の心に残っていて、今だとそれがとっても大切な捉え方ということがわかる。

自分の為の利は一番最後に取るという生き方

この件だけでなく、トンネル時代に味わった苦しみや悔しさ、そしてそれとともに毎日を乗り切っていたあの時間が、僕を大きくさせてくれたと今振り返ってみて心から思う。出会ってからずっと、たけさんには様々なことを学ばせてもらっているが、この頃は特に多くの学びをいただいた。

当時、2人きりの朝礼で毎日はぐくむの理念やクレド、大切にしたいことを音読していて、その一つに、北川八郎さんの”繁栄の法則”がある。”拡大よりも充実を”というタイトルに、こんな一説がある。

得たものをお客さんに返すようなことをする。また社員の為になるような何かをする。上に立つ人間が一番に身につけるべき覚悟は自分の為の利は一番最後に取るという点です。

繁栄の法則より

当時毎朝読んでいた冊子

たけさんはこれを体現してくれていた。一番苦しかった時代、僕がお金の苦しみでワーワー言ってた時、たけさんはお給料を自分に出していなかった。僕より少ない、とかではない。出していなかったのだ。

直接その話をしたわけではないが、それを知った時、僕はまた一つたけさんの背中から大きなことを学んだ。どれくらい体現できているかわからないが、僕より若いメンバーが多くいる今、あの時のたけさんの背中を思い出し、自分の為の利を一番最後に取るよう心がけている。

インターンチームのマネジメントによって生まれた物語

初めてのチームマネジメントで味わった大失敗

このトンネル時代に、僕は初めてインターン生のチームマネジメントを任せられている。初めてのチームづくりはこれまた苦い思い出だ。経営者コミュニティを休止し、僕は手紙職人から就活イベント運営へジョブチェンジした。その時に、当時開催していたNext Leaders Cafeという学生団体のトップたちを集めたダイアローグイベントから、特に優秀な2人の大学生が仲間に入った。

初めてのマネジメントに加えて、様々な企業とやりとりもしていた優秀な2人に対して、気後れしていた。うまくいかせたいという前のめりの気持ちや焦りから、顔色を伺っていた部分もあるし、その結果、自分の至らなさについて、彼らから厳しいフィードバックをもらう場面もあった。今も思い出すと、苦さが蘇るし、当時の自分はそれだけ何もできてなかったなと思う。

初めてマネジメントしたインターン生と開催したイベント[奏志相愛]

あやめとの出会い

特に大きな成果を出すこともなく、初めてのチームマネジメントは苦い経験のまま終わった。そして約1年後、再度インターン生のマネジメントを任せられ、リベンジと言わんばかりに全力でインターン生と向き合い、今も関係が続いているほどいいチームになった。

その頃のインターン生の一人があやめだ。

あやめは大学4年生の1年間僕と一緒に、就活イベントの営業チームで頑張ってくれて、テレアポでのアポ獲得率が高いところから「アポ神様」なんて言われてたりもした。まだまだトンネル時代だった僕の苦しさは漏れ出ていたようで、後になってからあの時のぐっちさんは本当ヤバそうでした、と言われた笑

あやめがインターンしていた時代|ただのパリピ野郎の僕…笑

そんな姿を見ながらともに頑張ってくれたあやめと、ある夜、新宿の公園で話す機会があって、その時あやめが、いつかはぐくむに戻って働きたい、と話してくれた。そしてその言葉通り、あやめは1年の社会人生活を経て、正式に社員としてはぐくむに戻ってきた。

あやめとの激烈なコミュニケーション

僕にとってのトンネル時代はあやめが入社する前までのことで、あやめ入社を機にまた新たなフェーズに突入する。

そこから僕とあやめは2人でチームを組み、就活生と企業をつなげる新卒エージェント業務を担当することになった。この社員になってからのあやめとのチーミングにも非常に苦労した。毎朝たけさんが来る前に2人で前日の振り返りをしていたのだが、そこであやめとのやりとりがうまくいかず、僕がヒートアップし、たけさんがやってくる時には最終的に殺伐とした雰囲気になっているのが、もはや毎日のルーティーンになっていた。

今はもう別のチームで、あの時ほどあやめと一緒に仕事をやっているわけではないから、そんなルーティーンももうないけれど、あの時の激烈なやりとりがあったからこそ、あやめとの今の信頼関係があると思う。

常なるものは無い、という考え方

そんなあやめとチームで取り組んでいた就活エージェントも、はぐくむが大切にしていることと完全にマッチしていないという判断から、LIFE DESIGN SCHOOLやコーチングスクールといったキャリア教育事業に注力することになった。

そこからはぐくむは加速度的に成長し、更にこの5,6年くらいで様々なことがあった。シェアハウスが始まったり、はぐくむ湖畔ができたり、かじや加藤くん、新しいメンバーが4人入り、辞めるメンバーもいたりと、目まぐるしく色んなことがあった。

2020年 オープンしたはぐくむ湖畔

関わる人も増え、やることも広がった分、毎日様々なドラマが起き、たけさんと2人だった時には起きなかったような、想定外のことも何度も直面した。その中で、僕は少しずつ、常なるものは無い、と体感覚として理解していった。はぐくむの中で、”無常”という言葉が特に使われるようになったのもこの頃からだと思う。

自分も関わる人も、そして社会も自然も、目にしているもの変わってないように見えても、変わっていないものは何一つなく、常に変化をしている。うまくいってる時や、豊かさを感じている時は、ついついそれがずっと続いていくことを願い、時に固執してしまったりするけど、無常観を自分の中で味わえるようになってから、更に生きることが軽やかになったと思う。

僕らが生きている時代もここ数年で明らかに変わってきた。はぐくむが大切にしていること、2006年から伝えてきたことが、ここ数年で、フューチャーされることが多くなった。時代の後押しを受け、ここから更に自分たちが積み重ねてきたものが実になっていくフェーズに移るだろう。

今の僕のこと

僕の生き方を通じて伝えていきたいこと

僕とはぐくむの物語を描いていたら、こんなに長くなってしまった。でもこれでも省いているくらい、語り尽くせないドラマがある日々だった。

最後に僕が今想っていることや、これからについて少し触れていきたい。僕は以前、自分のnoteにも書いたが、今は独身で、パートナーがいるわけではない。ふとした時に寂しさが込み上げてくる瞬間もある。でも、僕は今の環境、ライフスタイルに満足しているし、豊さを感じながら毎日を過ごしている。

僕にとって幸せとは、豊かさとは、人とのつながりだ。
誰かとの本質的なつながりが、自分の人生に大きな幸せをもたらしてくれると思う。恋人や配偶者といった特別なパートナーはいないし、血のつながった自分の子どもがいるわけではないけれど、

時に親友のように一緒に笑ってくれて、
時に仲間のように切磋琢磨して、
時に家族のように愛してくれる存在が、

ありがたいことに僕の周りにはいっぱいいる。

パートナーや恋人といった特別なパートナーがいることだけが幸せのある道ではなく、そうではない人とのつながりが生み出す、豊かでハッピーな道もある。自分の生き方や暮らし方が、孤独感や寂しさに駆られる人たちの何か勇気につながればいいなと思う。

誰と同じ船に乗るか?

よく「はぐくむ辞めて起業しようと思わないの?」とか、「はぐくむの先には何がやりたいの?」みたいに聴かれたりすることがある。もちろん起業したいと思うこともあるし、自分の力をもっと試したい気持ちになることもある。

人生において、何をやるか、それをどうやってやるのか、それも大事だけど、僕が今まで生きてきて感じるのは、それと同じくらい「誰とやるか?」が重要だということ。人生という航海の中で、誰と同じ船に乗るかは、自分の生き方に大きな影響を与える。

僕は今のところ、今世は少なくとも、その船をはぐくむと乗ると決めてやってきている。はぐくむと乗ることによって、自分の人生に鮮やかな彩りが生まれ、ひいては社会にとってより良いことにつながると信じてきている。もちろんそれもまた無常だから、これから先どうなるかはわからないけど、少なくとも今の僕はそう思って、この船に乗っている。

僕が乗っている船の旅路は、まだまだ道半ば。願っている社会の実現には、まだ多くの仲間が必要だ。どんな乗り方をするかは自由だから、同じ船に乗りたいと思った人は、ぜひ声をかけてほしい。助けてほしいことも、ともにやっていきたいこともまだまだいっぱいある。

今は6人のはぐくむ

終わりに:これから続く物語

今回ホームページリニューアルに伴い、自分とはぐくむの物語を初めて描いてみた。描ききれない物語がまだ溢れるほど多くある。

はぐくむと出会って、僕の物語は、実体のない誰かの物語から、自分の物語に変わった。”自分の物語を生きる”ことを全力でやってきた、そんな16年間だった。

僕の物語に登場してくれた全ての方たちにありがとうを伝えたい。そしてこれから登場してくるであろう人たちにも。まだまだ僕とはぐくむの物語は続いていきます。それはまた別のところで話せたらと思います。

僕の長い物語にお付き合いいただき、ありがとうございました。

2022年 社内オフサイトで登った大山から見えた富士山

▼Profile

平山 裕三

株式会社はぐくむ プロフェッショナルコーチ/ファシリテーター
神戸大学・新潟大学 非常勤講師

1985年生まれ。幼少期から恋愛対象が同性だと自覚。
悩み苦しむ青春時代を過ごすが、「あるがままに生きていきたい」と決意しカミングアウト。

大学時代、はぐくむ創業から2年間インターンとして関わり、卒業後、ソフトバンクにて法人営業を担当し、東京エリアで1位の成績を収める。また、孫正義氏の後継者を育てるソフトバンクアカデミア第1期生に選ばれ、ビジネススキルや起業家としての生き方を学ぶ。ソフトバンク退社後、はぐくむへ入社。

現在は、大学生~社会人向けに自分の実現したい未来を描き、形にする5ヶ月間のプログラム“LIFE DESIGN SCHOOL”でファシリテーターを務めるとともに、社会人・主婦・社会起業家などにプロフェッショナルコーチングを提供し、約10年間、年間500人以上にコーチングやキャリアカウンセリングを行っている。数年前から神戸大学・新潟大学にて非常勤講師を勤め、キャリアデザインをテーマにして授業を開講。学生からの人気が高く、質の高い授業には定評がある。

旅と食べることが好きで、全国各地を旅しながら働く。その際、隙間時間があればおいしいものを食べ、映え写真を撮りインスタにあげるのが行動特性。

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