Story 障がいは「諦める理由」にはならない。小さくても勇敢な挑戦を積み重ね、自ら掴んだ“生きていく自信”

株式会社はぐくむ(以下、はぐくむ)では創業以来、自分と向き合い、生きたい人生を共にはぐくむ教育プログラム「LIFE DESIGN SCHOOL」を運営してきました。この記事では、過去に「LIFE DESIGN SCHOOL」に参加してくださった方のストーリーを紹介します。

今回インタビューしたのは、TOTO株式会社で商品開発のチームリーダーを務める大友 健朗さん。

大学2年生のときに大病を患い、左半身に障がいが残った大友さん。将来への不安を感じたことからコーチングを受け始め、さまざまなチャレンジをしてきました。大友さんがどのように不安を乗り越え、どう変化していったのか。当時の経験や、大事にしている想いなどをお聞きしました。

手術後に残った障がい。将来への不安。“自分らしさ”なんて考える余裕がなかった

ー 大友さんはどのような経緯ではぐくむと出会いましたか?

最初の出会いは、はぐくむの代表である小寺さんのコーチングを受けたことでした。

私は大学2年生のときに大病を患い、手術を受けて病原自体は取り除くことができましたが障がい残り、“身体障害”の認定を受けました。

手術直後は寝たきりの状態でしたが、半年間入院しリハビリをする中で少しずつ体が動くようになり、家の中ならなんとか杖をついて移動できるようになりました。しかし、退院直後は日常生活が完全には自立できておらず特に苦労したのは入浴で、二十歳をすぎて父親に風呂に入れてもらわなければならない現状はかなりきついものがありました。「親に頼らずに生活していけるのだろうか?」「生活面、経済面で自立できるのだろうか?」という不安との戦いだったように思います。

当時中学からの親友の平山くんには病気がわかった時から色々と相談に乗ってもらっていて、その流れで小寺さんの事、コーチングの事を聞いて、小寺さんに連絡させてもらったのが始まりです。今思えばそこが大きなターニングポイントだったと感じます。

小寺さんとの個人的出会いから、はぐくむとLIFE DESIGN SCHOOLなどのはぐくむの活動、学生メンバーとしてインターン活動など貴重な経験をさせてもらいました。

ー コーチングを受けたことでどのような変化がありましたか?

コーチングを受け始めた当初は、「とにかく生活するためにどうしたらいいか」という次元だったので、そこから「自分らしく生きる」という事を考えられるようになったことが一番の変化だと思います。

コーチングは、コーチのサポートをもらいながら自分で“答え”を探していく作業と理解しています。小寺さんとの会話の中で、まずはマイナスからゼロ(生活はなんとかなりそうだ)まで戻す事ができました。

少し具体的に言うと、「生活できるか不安」を深堀りしていく中で「お金が稼げるのか」のウェイトがかなり大きそうだと自分で認識できたのでまずはその悩みを潰しにかかりました。体は動かさずにお金を稼ぐ方法として塾講師ならできるかもしれないと思い、「塾講師のバイトにチャレンジします」と小寺さんにコミットしました。ただいざやるとなると、そもそも雇ってもらえるか…採用されても相手が多感な時期の中・高生とうまくやれるか…といった不安が出てくるもので「やっぱ無理かも」とも思いましたが、自分でやると決めて、コミットまでした手前、後には引けず、腹をくくりました(笑)

結果的にはバイト代はしっかり入り、関わった生徒は障がいに関係なくフラットに接してくれて対人関係の不安も思いがけず払拭できた形になりました。

そういった不安の種を一つずつ潰していく作業を小寺さんと積み重ねていく中で、「生活はなんとかなりそうだな」と思えるようになり、そこから更に次のステップとして、「自分らしさ」や「どう生きていきたいか」を考えるようになりました。

「障がい者として扱ってもらえない」。“できる”と信じて進んだことで、マイナスな部分も自分の一部になった

ー マイナスな状態だったところから「自分らしい生き方」を考えるようになり、どのような想いに辿り着きましたか?

私はもともと物欲が強くて(笑)、形あるモノが好きだったんですよね。大学でも機械工学を専攻していた事もありモノづくりを通して人に喜んでもらって、お金をもらう。それが自分にとっては性に合っていると思いました。

次にどんなモノ作りに関わりたいかを考え、まず自分自身が父親との入浴等きつい体験をした事やリハビリ病院入院時に入院していた様々な方の、入院に至る経緯や苦労を見聞きした事を通して、日常生活の自立や社会進出に微力ながらも役立つモノを作りたいと思いました。

ー 大友さんが勇気を出して前に進めたのはどうしてだったのでしょうか?

私自身も何とか自立したいという思いがあったのと、私が前向きに生きる事ができれば、「支えてくれている家族や友人が喜んでくれるだろうな」と思ったのが一番大きいです。

周りの人は直接「頑張れ」とは言いませんでしたが、「こいつなら何とかするだろう」と信じてくれているように感じました。

小寺さんは特にスパルタで、私がバイトして給料をもらえたときは「できると思ってたよ」みたいな感じで、一緒に農業体験したときも、山登りをした時も、特別な対応はなく通常運転でした(笑)。

自分以上に自分の力を信じてくれている人がいると勇気をもって力強く進めるということを実感した関わりでもありました。

過去の努力がいまの自分をつくり、振り絞ってきた勇気が誰かの背中を押すこともある

ー LIFE DESIGN SCHOOLに参加するなかで印象に残っている出来事はありますか?

コーチングを受けているときも生き方や働き方について考えてきましたが、LIFE DESIGN SCHOOLに参加したことで漠然と考えてきたことを整理して明文化する事ができました。また、SCHOOLの集大成として自分の大切な人に、自分の目指す働き方、生き方などをコミットする機会があり、私は母に闘病時の感謝も併せて伝えました。母親と面と向かってそういった話をする事はなかったのでとても印象に残っています。

ー 現在にも影響していることや、活かされていることがあれば教えてください。

職場で障がいのある学生と先輩社員との相談会の機会があり、私も度々参加させて頂いています。そのときに私と小寺さんが積み重ねたプロセスの話は関心を持って聞いてもらえます。相談会で学生と話すと、「こういうことがしたい」ではなく、「私にできることは何でしょうか?」「障がいがある事で会社で困る事はありますか」というような質問が多く、「僕みたいな人が給料をもらってもいいのでしょうか?」という質問が出た事もありました。そういった学生に「こんなケースもあるんだ」という一例を知ってもらう事で一歩踏み出すきっかけになれば良いなと思いながら毎回話をさせてもらっています。

ー では最後に、仕事で大事にしていることを教えてください。

今の職場も障がいに関係なく私にチャレンジの機会を与えてくれ、一方で重いものを持ったり厳しい作業は先輩や上司も手伝ってくれるなど恵まれた環境で感謝しています。だからこそ自分にできることは最大限期待に応えようと思っています。

商品開発は瞬間風速的に忙しくなり心身ともに追い込まれるときもありますが、小寺さんとのコーチングをしていた当時の「できるかできないかがわからないチャレンジ」をたくさんしていた時のメンタリティでやってやろうと発奮しています。

一方で、「もしうまくいかなくても、命をとられるわけではない」と達観している部分もあり、大病した事でいい意味で力を抜く事ができています。過去の努力がいまの自分をつくっているように、いまの努力が60歳くらいの自分をつくっていくのだと思って怠けずに取り組んでいきたいですね。

「編集後記 ~小寺毅の視点~」

たけちんとの思い出はここではとても書ききれない。彼は僕にとっても非常に思い出深いコーチングのクライアントであったし、クライアントを超えてまるで弟のような存在でもあり、仲間でもあった。

可能性にフタをせず、本当に実現したい未来を描き、生きることで人の可能性はどんどん広がっていく。それを近くで、共に体感・体現できたのがたけちんとのコーチングの時間だった。困難なリハビリ、未来に対する希望よりも現実的な安定が先行してしまう中で、今の延長線上からの発想ではなく、もっとその奥にある”願い”に目を向け、そこから生きたい未来を展望する。

アルバイトをすることも、飛行機に乗って旅行に行くことも、到底難しい雲の上のような未来に感じたとしても、そこが辿り着きたいところなら、そこに向かって今できることを積み重ねていく。一つ一つ、できることから。そうやって共に歩んだ先にアルバイトも、飛行機に乗った先の異国の大地を歩くことも、そしてその後の社会人生活を実現することもできた。

「〇〇大学卒」とか「偏差値いくつ」だとか、「長男」「次男」とか、世の中には色んなラベルが溢れている。「健常者」と「障がい者」というのもラベルの一つだが、たけちんはラベルを言い訳にせず、”大友健朗”としての意志を軸に生きる努力をしてきたのだと思う。そして、その意志を軸にしてきたからこそ、ラベルにつきまとう境界線や限界を超えてこれたのだと思っている。

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