先義後利

Update 2022.10.19

話した人

小寺 毅(たけ)
平山 裕三(ぐっち)
佐野 大地(だいちゃん)

たけ

多くの人にとってはあまり馴染みのない言葉かもしれないけど、はぐくむでは頻繁に出てくる大事な言葉だよね。

ぐっち

「お役立ちが先、利益は後」と言ったりもしていますね。「利益が出ないというのはお役立ちが足りていないから」と初期の頃から言い続けているから、今でもそれが自分に浸透しているし、常にそうありたいなと思っています。

たけ

「義」は道義という意味で使われているけど、僕としては「大義」の義でもあると思っていて、「大義が先で、利益は後」と言うこともできる。むしろそれがはぐくむのスピリットと言えると思うんだよね。順番として先にあるのは、自分たちとして成し遂げたいことや実現したい未来。その未来を実現していく上での適切な「利」というのは必要だけど、お金儲けするために我々は活動してるわけじゃない。

だいちゃん

「利」が後というのは聖人君主じゃないとできないみたいな印象を受ける言葉かもしれないけど、長い時間で考えたら損してるっていう感覚もないかも。そもそも損得以前に自分たちが実現したい未来に向けて種まきや水やりをやってきたわけで、結果的に「利」というかたちを伴って返ってくると考えたら、これほど理想的な循環はないんじゃないかな。

ぐっち

やっぱり順番がすごく大事だよね。仕事をしていて今すぐに結果が出ないこともある。でも、その仕事を通じて相手が変化したり、よりよい関わり方ができていたら、仮に目先の利益に繋がらなくてもいいよね、とメンバーとも話していて。そこを良しと捉えるところがまさに先義後利だなと思う。日々のコミュニケーションや仕事の中で「お役立ちが先」の精神を体現できてるなって感じる瞬間です。

だいちゃん

あと、はぐくむでは「利を出さないと咎められる」という恐れがない。お役立ちが足りていないという意味では耳が痛いんですけど(笑)。何がなんでも利益を出さないとダメとはならないから、働くぼくらの心も健康でいられます。

たけ

意思決定とか物事の価値基準において、なんでもかんでも利益で善し悪しを見ないっていうところは社内で大切にしているよね。それは現代の資本主義的な文化に対する僕らのアンチテーゼだったり、違うあり方の提示でもあって。短期的に利益を出せる人=人間的価値が高い、と見られがちだけど本当にそうかな?という問いを持っている。

ぐっち

短期的な利益って目に見えるものだと思うんですよね。わかりやすいし。でもその物差しだけじゃないよなってやっぱり思う。大きな植物は、地中に大きな根を張っている。目に見える枝葉も大事だけど、目に見えないけど根が張ってるよねっていうところに大切な価値があるよねってのを信じてるのが、はぐくむらしさでもあるかなと思う。

たけ

そうだね。「後利」の部分って見えるし、数えることができる一方、「先義」の部分は見えにくいし、数えにくい。同じ物差しでは計測できないから、やっぱりどうしても数えやすくて目に見えるものの方が安心する。だけど、「先義」は見えないんだけど確かにあって。繋がりとか、心の結び付きだったりとか、そういったことに多大な影響を与えてる。

だいちゃん

以前、別の場所でがむしゃらに働いてた頃に「自分を安売りするな」って同僚に言われまして。給料に対する働きすぎを気遣ってくれてたんだとは思うけど、その売り買いみたいな感覚にしっくりこなかったんですよね。自分としては思いを持って取り組んでいたことなので後味も悪くないし、むしろ清々しかった。うまく数字にできないし、目に見える評価は得にくいかもしれないけど、自分の働き・生き方としては誇れるよなと、今振り返っても思います。

たけ

損得の世界にどっぷり浸かってたとしたら、この先義後利は辛いだろうし、受け入れにくいかもしれないね。はぐくむは金銭的損得に対して躍起にならない。お金とか、短期的利益を全く気にしないってわけじゃないけど、その物差しだけで生きてる人たちではないよなって思う。つまり、別の豊かさも知ってるってことだし、金銭的な豊かさだけに囚われて生きているわけではないよね。

ぐっち

人との繋がりとか関係性によってもたらされる豊かさを知ってるというところが大きいのかなと思います。「義」によってなぜ利益が生まれるのか、なぜ利益が循環するのか、と考えると、「義」があることで関係性が生まれたり、より濃くなったりするんですよね。それらが巡り巡った結果、還ってくるものが増えてきたという実感が年々強くなっています。

たけ

面白いよね。お役立ちって自己犠牲みたいな文脈で捉えられがちだけど、決してそういうことではなくて。自分がいいと思う未来に向かってこういう未来を実現したい、こういう社会を実現したいという思いの上で、どういう風に周りの人たちに関わり、役立っていけるかということ。そういう風に生きられたら自己犠牲的な文脈にはならないはずだよね。

どれだけ高い視座を持ち、長い時間軸でものごとを考えられるかは、社会をつくっていく上で大切なことです。短期的な利益に飛びつくのではなく、時間をかけて肥やしていく。肥沃な土に多くの実りがあるように、そんな行いの積み重ねがいつか自分たちを支えてくれることを信じています。