役割として人を見ない

Update 2022.10.19

話した人

平山 裕三(ぐっち)
小寺 毅(たけ)

ぐっち

会社や部活とかの組織って、ヒエラルキーが形成されていることが多いと思うんですけど。人柄とかは全く関係なく、年齢や社歴が上の人が偉いとか、下の人には大柄に振る舞ってよいみたいなものに強い違和感を覚えますね。

たけ

少なくなってきたとは感じるけど、まだまだあるよね。

ぐっち

はぐくむでも、もちろん立場や役割はあるけど、それが全てを決定することはない。一緒に何かをする時には、あくまでもフラットに関わることを大切にしている。人のあり方として、自分も大切にしていることの一つですね

たけ

僕らの人間関係のあり方を表してるよね。はぐくむでは肩書きがそもそもほとんどないし、新人だから、先輩だからみたいな、そういう役割で人を頭ごなしに判断したり、評価したりしない文化だから。あくまでも一人ひとりの人間を見て、関わっていくっていうところを大事にしていることの表れかなと思いますね。

ぐっち

社会によって貼られたラベルとかではなく、その人本来の人間性だったりとか命の輝きに自分たちは常に目を向けていきたい。関わるならば、その人の命がより輝くためにはどうしたらいいのかにエネルギーを注ぐのが、はぐくむの文化だと思う。

たけ

意識の置き所がそうなんだよね。一緒にいてお互いが生き生きとする関わり合いはなんなのか、っていうのを大事にしているチーム。先輩だから偉いとか後輩だから言うこと聞かなきゃいけないとか、そういうのがないってことだよね。

ぐっち

例えば僕と一緒にシェアハウスに暮らしているメンバーのたじは、一般的には10歳離れている上司と部下。一緒に住んで大変だね、みたいな感じに受け取られちゃう(笑)。まあそりゃ一般的に見たら変だけど、自分たちの価値観や関係性を知らないからしょうがないよなって思って。

たけ

そうだよね。でも、一般的な上司・部下とか、そういうヒエラルキー組織に慣れてしまっている人からするとこれって全然わかんないだろうね。

ぐっち

2Fにオフィス、1Fに住んでるっていうのも結構驚かれますからね(笑)。仕事とプライベートとかもそうですけど、その上司と部下とか、いわゆる一般的によくある境界みたいなのがないのかも。

たけ

僕も昔勤めていた会社の上司と一緒に住みたいかって、あの当時聞かれたら、住みたくないって答えたと思う(笑)。いわゆる上司と部下とかの利害関係者じゃなくて、共によりよく生きる存在(仲間)として関わってるからパラダイムや前提が全然違うんだろうね。あと少し別の話だけど、個人的には、立場を利用して偉ぶる人や、相手によって態度を変える人たちを見て、反面教師的にそうありたくないなって思ってきた側面もあるんだよね。

ぐっち

わかります。僕も大学時代にオーケストラ部に入ってたけど、練習や楽器のうまさ関係なく、部室にずっといる先輩が偉いみたいな風潮に辟易した。

たけ

立場とかのラベルで意思決定していくっていうよりも、その人のキャラクターとか想いを一番に見たい。その上で対話しながら信頼関係を築いていって、そこから一緒にやれることだったら一緒にやりましょうだし、一緒にやれないんだったら、一緒にやらなくていいし。

ぐっち

はぐくむでは、役割があってそこに人をアサインしていくんじゃなくて、その人がいてその人にあった役割を探していく感じがしますね。

たけ

役割ファーストじゃないんだよね。その人の生きていきたい方向性ありきでチーム全体としてのフォーメーションを組んでる。あと、自分が男だから女だからとか、自分が社長だから若いからとか、そういう役割や肩書き、ラベルを超えて自由に望んでる方向性に向かって関わり合えたらいいよね。

ぐっち

いわゆる制限になっちゃうようなことを越えていきたいし、自分のやりたいことにフタをしている人たちが、開いていけるようなことをしていきたいですね。

私たちは立場や役割、年齢によって頭ごなしに人を評価し、態度を変えることを良しとしません。社会によって与えられたラベルよりも、その奥にある一人ひとりの命の輝きに目を向けていきたい。あくまで社会を生きる一人の人間として、尊敬と愛情を持ってコミュニケーションを取ります。

コンパス

はぐくむが大切にしている言葉は、日々の行動と願う未来をつなぐ羅針盤です。
日々の仕事や読書、毎日の朝礼から言葉を見つけ、育みながら更新し続けています。